説教の要約(2026年10月4日)
- 詩篇90篇のモーセの祈りを通して、人の一生のはかなさと神の永遠性が語られました。神の視点では「千年も昨日のごとく」ですが、私たちの人生は青草のように短く「骨折りと悩み」に満ちています。この時間の感覚の違いが、私たちの信仰の出発点となります。
- 荒野を40年さまよったモーセは、神の怒りの大きさを問い、苦しみの中から「主よ、みこころを変えて…あわれんでください」と神のいつくしみを求めました。この祈りは、苦難の後に神からの喜びと慰めを期待する、現代にも通じる信仰の姿勢を示しています。
- モーセの時代は神の怒りが直接示されましたが、現代に生きる私たちは、イエス・キリストを通して神の「愛のかたち」を知る恵まれた時代にいます。イエス様の犠牲により、私たちはモーセ以上に感謝と希望を持つことができます。
- 説教のテーマは「主の晩餐と自己吟味」へと移ります。人生は一瞬であり、「主の日は盗人のように来る」ことを覚え、来る聖餐式に備えて信仰・希望・愛、特に最も大いなる「愛」に立つことの重要性が確認されました。
- 2026年11月8日の聖餐式に備え、コリント人への第一の手紙11章に基づき、清い心で臨むことが強調されました。「ふさわしくない」状態で臨むことを避けるため、御言葉を通して自分自身を吟味し、罪の告白と悔い改めが求められます。
- 主の晩餐は、イエス様が過ぎ越しの祭りの食事の中でパンに「わたしのからだ」、杯に「わたしの血による新しい契約」という意味を与えたことに由来します。この記念の行為は、主の犠牲を深く思い起こすためのものです。
- 聖餐は「主が来られる時まで、主の死を告げ知らせる」行為です(1コリント11:26)。教会はパンと杯によって、主の身代わりの死と救いを公に証しします。空腹を満たすための食事ではなく、特別な意味を持つ晩餐です。
- 「主のからだをわきまえず」聖餐にあずかる者は、自分自身にさばきを招きます(1コリント11:29)。その結果、当時は「弱い者や病人が大勢おり、眠った者も少なくない」という状況が生まれました。霊的・肉体的な弱さは、聖餐の意味を誤ることと繋がります。
- しかし、主から受ける裁きは、滅びのためではなく「この世とともに罪に定められないために、主の懲らしめを受けること」です(1コリント11:32)。ヘブル人への手紙12章にあるように、それは神が愛する子を鍛えるための「訓練」なのです。
- 聖餐にふさわしく臨むには、罪を自覚したなら悔い改め、集まる際は「互いに待ち合わせ」るなど、愛と秩序を守ることが大切です。福音書を読み、祈りをもって「しっかりと準備をしなさい」と勧められました。
The overarching theme: preparing hearts for the Lord’s Supper under God’s eternal perspective, uniting Psalm 90 and 1 Corinthians 11 to proclaim the New Covenant in Christ.
Psalm 90:1–6 contrasts God’s eternity with human brevity—life like flood, dream, grass—teaching us to number our days (Psalm 90:12) with a wise heart.
Israel’s wilderness and golden calf show wrath against idolatry (Psalm 90:7–11); yet Moses pleads, “Relent… have compassion,” seeking steadfast love and joy (Psalm 90:13–15).
God’s time-sense—“a thousand years like Yesterday” (Psalm 90:4; 2 Peter 3:8)—frames 2,000 years since Christ by 2026-10-04 as a moment to the Lord.
“Proclaiming the Lord’s Death”: Jesus gives bread, “This is my body… do this in remembrance of me,” and cup, “new covenant in my blood” (1 Cor 11:23–25).
Holy Communion (“seisanshiki”) transforms Passover; believers proclaim His death “until He comes” (1 Cor 11:26), anchoring hope in the cross and shed blood.
Self-examination: “Let a person examine himself” (1 Cor 11:28); unworthy manner brings guilt “against the body and blood” (1 Cor 11:27).
Not discerning the body invites discipline: weakness, illness, even death (1 Cor 11:29–30); therefore the church allows ample preparation time.
“If we judged ourselves, we would not be judged” (1 Cor 11:31); divine discipline aims to save from condemnation with the world (1 Cor 11:32; Hebrews 12).
“Establish the work of our hands” (Psalm 90:17): God’s favor gives lasting significance, showing His work to servants and glory to their children (Psalm 90:16–17).

